Flypowerを始めたきっかけと想い
私たちは、Flypowerの日本総代理店、Jalan Jalanです。2020年10月、3人で始動したまだまだ小さな活動ですが、インドネシアと一緒に世の中に新しい価値を提供していきたいとの想い、そしてそのプロセスへの好奇心から日々活動しています。
Jalan Jalanを始めた私は、学生時代にインドネシアのサンバスというカリマンタン島の片田舎に二ヶ月ほど滞在しており、そこでの原体験がこの活動のきっかけでした。
私が大学2年生のとき、20歳年上のMuriadiさんという方が修士課程で1年間、同じ大学の大学院に留学をしに日本にやってきました。私は面識がなかったのですが、Facebookで「日本でバドミントンをするところを探している」との書き込を見て、大学のバドミントンサークルを紹介するコメントをしたのが出会いのきっかけでした。そこから一緒に一年間バドミントンをすることになり、研究前の朝の時間に大学の体育館で練習するのが日課になりました。
そして、彼が修士課程を修了する際に「私の地元にバドミントンをしにこないか」と誘われて「Yes」と言ったのが、この事業とインドネシアとの関わり、途上国への関心など、すべての始まりです。
当時は20歳でした。自分の世界を広げたいと思っていたし、インドネシアはバドミントンでとても強い国であるし興味がある、「サンバス」は聞いたことのない場所だけれど、Muriadiさんが信頼できる人だと感じていたのが何よりの決め手で、単身サンバスを訪問しました。
サンバスはジャカルタでトランジットをして、ポンティアナック空港に行き、そこから車で6時間ほどでした。空港に迎えに来てくれたMuriadiさんとそのご家族にあったときは安堵で泣きそうだったのを覚えています。そして、ポンティアナックからサンバスまでの6時間の深夜のハイウェイはとてつもない恐怖であったのも。
サンバスについてからも驚きの連続でした。水道からは十分な給水量はなく、お風呂とトイレは雨水の利用。もちろん洋式のトイレもなく、毎日の停電、移動はバイクの二人乗り(時には子供と三人乗り)、バドミントンコートはコンクリート。生活が全く日本のそれとは違っていました。
でも、すごく楽しかった。それがすべてで、ホームシックにもならなかったです。言語もろくにできませんでしたが、地元の中学生と一緒に練習をして、毎日遊びに連れ出してくれたこと、軍人さんが「お前明日暇だろ」といって突然200km離れる隣町に小さなスクーター二人乗りで行ったこと。そして、日本からきた私を気遣って、鍋で沸かしたお湯と水を混ぜて、温かいお風呂を用意してくれたこと。
(写真:サンバスの少年たちとバドミントンを通じた交流、一番右が筆者、一番左がコーチでもあるSparidiさん、その隣がMuriadiさん)
怪しい宝石のついた指輪をたくさんくれたSparidiさんや、風邪をひいたら隣町の大会会場から試合を中断して家まで送ってくれたトラック運転手のおじさん(名前は忘れてしまいました)。
数々の出会いの中で、サンバスの一員として本当に受け入れられた、人間の優しさを感じた二ヶ月間でした。帰国の日、こみ上げるものがあって、涙したのを覚えています。ウルルン滞在記という番組がありましたが、そういった体験なんだなと、身にしみました。
そんなインドネシアの生活の中で、Flypowerを知りました。Flypowerはインドネシア発のバドミントンメーカーであること、そして伝説的な男子シングルスのプレーヤーであったHariyanto Arbi選手が創業者であることなど、中学生や大人たちが口を揃えて教えてくれました。そして、インドネシアの伝統的なデザインであるバティックがあしらわれたユニフォームとラケットをもらいました。
まさか今自分がFlypowerの日本の代理店をしているのも正直驚きなのですが、現地での出会いから、ご縁をいただいて、こうして販売させていただいております。
Flypowerの商品の販売で特に意識しているのは、インドネシアと日本をつなげることです。
例えば日本車が海外で走っていると、日本人として嬉しさを感じると思うのですが、インドネシアの方にとっても、Flypowerというブランドが日本で使われているのを知れば、誇らしいと感じてもらえますし、前向きな気持の一助になると考えています。そのために日本でインドネシア発のブランドであるFlypowerを広げることの意義を感じています。
また、インドネシア製の商品であったり、インドネシアのデザインが強調されたものであったり、日本の方が手にとって、インドネシアを感じられる商品をラインナップしています。これで、少しでもインドネシアに興味を持ってもらって、何かしらの架け橋になれたらと考えています。
また、次に意識しているのが、現地で感じた価格面での感動を届けられるようにする、ということです。インドネシアで特に驚いたのは、バドミントン用品の価格が安いということです。ラケットも1本1万円以下で手に入るし、シャトルもウェアも安い。使ってみても、クオリティは十分であるなと感じていました。当時は、日本でしかバドミントンはしたことがなかったので、ラケットは2万円するのは当たり前だと思っていましたが、それは日本の当たり前であって、世界を見てみれば、そんなことは全然関係ないことを知りました。そして、Flypowerを始めて知ったのは、ラケットの原材料のカーボンはどのメーカーもほとんど同じであり、質に差はほぼないということ。値段の差は、広告費や人件費などがほとんどで、そうしたものを抑えられれば、もっと手に取りやすい価格で商品を届けることは可能であること。私達はインドネシアで感じた感動をそのまま日本でも届けられるように、今も試行錯誤の連続ですが、販売形態と価格をきめています。
私達の代理店名はJalan Jalanですが、Jalan Jalanは「散歩」という意味です。散歩は目的もなく歩いているように見えて、進んでいますし、その目的のない歩みの中でも、様々な景色や人との出会いもあって、新たな目的や次なる到着点が見えてくるものではないかと考えています。
そもそもインドネシアにいったのも偶然の連続でした。Muriadiさんの誘いにYesと言わなければ、何も今にはつながっていないと思います。でも、こうして今があるのは、散歩のように、目的があまりわからないけれど、歩みを始めてみた結果であると感じていますし、今後も結果がわからずとも、まずは歩みだしてみることが、いろいろな可能性につながる上で大事であることを思い続けられるように、少し長い名前ですが、Jalan Jalanという代理店名にしました。
途中で目的地を思いついたり、目的地からまた意味もなく散歩をしてみたり、「散歩」をしようと歩き出したJalan Jalanですが、今後もインドネシアと日本をつなげる活動をFlypowerを通じて行っていきたいと思っています。ぜひ、まずは商品を手にとって貰えれば嬉しいです。(写真:滞在したサンバスのMuriadi家から見える風景)